毒親だけど愛しています

自分って何だろう。僕の母は毒親だったのだろうか。自分の人生を見つめなおしたくて始めました。

こんな息子でも愛していますか?

こんにちわ。関西の皆さん地震は大丈夫だったでしょうか?僕も関西住みです。地震の後友達からの心配の連絡がたくさんありました。周りの人たちに感謝ですね。そして今回亡くられた方々に対してどのような言葉を述べればよいかわかりません。特に女の子のニュースは涙が止まらなくなりました。今までと変わらない朝を過ごしていたのだと思います。「いってきます」そう言って元気に学校に登校したのでしょうか。親御さんはその子のために晩御飯は何にしようかと考えたり、また散らかしてと苦笑しながら片付けをしたり、そういう何気ない一日の始まりを迎えてたのだと思います。それが6月18日の7時58分。すべての世界が変わったのでしょう。文章がめちゃくちゃですみません。書きながら涙が止まらなくなってきました。

 

僕のブログはこういった思ったままに書いていくことになると思います。

 

 

地震の後母から連絡がありました。地震のニュースを見ながら母は泣きながらどうして近くにいてくれないの?そう言いました。詳しいことは今後書いていく予定ですが、母が嫌で家を飛び出しました。でもこういう電話がかかってきたり、心配されたりすると分からなくなります。母は心から僕のことを愛していますか?僕が母に歯向かっても愛してくれますか?親は子どもを愛するものなのですか?今でも答えが分かりません。

 

 

亡くなった女の子の家族が過ごした9年が幸せだったらいいのに。でもその分いなくなった今は辛いと思います。家族さんの悲しみが癒えることはないと思います。わかっていても赤の他人の僕や他の人は前を向いてと言います。そして僕は無責任にこういいます。愛してあげた9年がきっと女の子にとって幸せだったのだと。

 

 

今日のブログは無責任に感じたり、気に障る表現があったかもしれません。そうであれば申し訳ありません。でも、今後も変わらず想いを伝えていこうと思います。いつか母に僕の気持ちが届くその日まで。

 

 

最後に本当に亡くられた方々のご冥福とその家族さんへのいいようのないこの気持ちをもって今日は終わります。

きままに

このブログでは今の自分と過去の自分について気ままに語っていくつもりです。現在と過去で別けられていると思ってください。たまに感情のままに書く日もあると思います。そういう時は暖かく見守ってください。

 

 

昨日寝るとき母のことを思い出しました。ついこの間用があり実家に帰ったのですが(現在一人暮らししています)その時に見た母はあまりに痩せていました。母が病気にでもなったら自分はどうなるのだろう。そんなことを考えてしまい、涙が止まりませんでした。でも、その一方で過去にされた母からの言動も思い出すんです。そういうのは追々書いていこうと思います。辛い仕打ちもあったのにそれでも涙があふれてくる。自分がたまに分からなくなります。

初めまして

初めまして。未知野 徒中(みちの とちゅう)です。

現在大学生をしています。心の病気を抱えながらの生活をしています。

名前の由来は未知なる道を歩いている途中という気持ちを込めて付けました。

 

 

僕の母はある宗教の信者です。辛いことが過去にたくさんありました。でも母と離れて暮らすようになって思うことは、それでも愛しているということです。

 

 

僕より辛い立場の人もいることでしょう。僕の母の記事を読んで普通の母親だという人もいるでしょう。でもあの日あの時あの瞬間感じた僕の気持ちは紛れもない事実です。僕のように辛いと感じている人が、あの頃の僕のように自分は無力で1人だと感じている人が、このブログを通して元気になったり、力をもらってくれたらいいなと思い始めました。

 

 

どれくらいの話をするのか、続くのかわかりませんがお付き合い頂けたら幸いです。