毒親だけど愛しています

自分って何だろう。僕の母は毒親だったのだろうか。自分の人生を見つめなおしたくて始めました。

部活

バイト先で運動をしていたかという話になった。僕はしたことがないと答えた。周りにいたみんなが驚いた。社員さんに人生で初めてそんな人と会ったと言われた。

 

僕もしたくないわけではない。したかった。

 

 

バスケ、吹奏楽、水泳、飛び込みなど興味を持つのは年によって変わった。でも何かしら習い事はしたかった。でも母が許すはずがなかった。

 

 

前書いたように母は宗教にのめりこんでいる。その宗教の教えで宗教の人以外と極力関わらないようにと教えられてきている。特に子供は影響を受けやすいために殊更気を付けるように言われていた。母はその通りにした。学校以外は基本外に出ないように、遊ぶのは宗教の子と、でかけるのは宗教に関係していることの時。

 

 

いつまでかはわからない。でも僕にとってそれが普通だった。そしてそう教える母は偉大で大好きな母であった。そして今現在…

 

 

気持ちはぐちゃぐちゃ。でもそれでも母を愛している。

やりたいことできないこと

こんにちは。毎日こう生きたいと思ってもその通りに生きれないです。なぜ他の人はそんなにも上手に生きていけるのだろうと思います。

 

 

バイトと学校の両立。している人すごいですよね。僕もバイトはしています。でも学校がおざなりな気がします。でもバイトしないと学校には行けません。なんのためにしているのか。こんな僕が生きてていいのか。そういうことを問う毎日です。

 

 

親を頼らない。そう決めてはずなのに。僕は今日も親を頼る。はあ、なぜこんなんだろう。なぜ生むんじゃなかったって言われたのに頼れるんだろう。そしてなぜ母は僕の頼りを聞いてくれるのだろう。わからない。

無理なく

学生なら学校に行く。社会人なら働く。他の人ができていること。でも僕にはそれがうまくできない。

 

学生です。でも学校に行けません。本当は勉強は楽しいし、学校も楽しいから行きたいです。でも怖いくらい身体が言うことを効きません。だからお薬を飲んでいます。

 

母はこの家系に生まれたからそういう身体にさせてしまったと泣きながら謝ってきたことがありました。でも謝るならもっと他のことを謝ってほしいとも思ってしまいます。息子として最低ですね。

 

無理なく身体第一にねそう言われます。頑張ってると言われます。でももっと頑張らないとと思います。母がいつの日か僕の子育てを失敗と思わなくなる日まで。

あふれるもの

みなさんこんにちは。未知野徒中です。

 

 

みなさんは急に涙が出そうになったり出たりすることがありますか?僕はよくあります。今日もバイト中急に泣きそうになりました。

 

 

過去について振り返ると母に色々言われたことを思い出します。失敗作やなんでできないのなど。母のことを恨んだ時期もありました。でも今母のことを考えると泣きそうになったり泣いたりします。そして気付きます。愛しているのだと。僕は僕がわからなくなります。辛いことがあった時支えてくれるものがありました。だから生きています。でももしそれがなかったら?今この文字を打てていないかもしれません。

 

 

生きているってなんでしょうか。生きていてよかったあの時死ななくてよかったと思っています。でもそんなこともふと考えます。

話すということ

生まれてから家を出るまで僕には当たり前のようにしないといけないことがありました。週3日(途中から2日に変わりましたが)は宗教の集まりに行くこと。週に少なくとも1回は宗教活動として家を訪ねることです。元々貧血持ちだった僕はあまり宗教活動をするのには向いていませんでした。日中の暑い時間帯に2,3時間歩きまわるのです。疲れて休む僕を見て周りは冷たい目でみてきたそうです。

 

 

母はこの時どんな気持ちだったのだろう。今ではそう考えます。母にとって宗教の世界が全てです。家族を疎かにしても守りたいものです。息子のせいで自分の子育てを悪く言われるのは耐えられないことだったのではないかと思います。

 

 

母と電話や実家に帰ってきたときに話す内容の8,9割は宗教のことです。あの人がこうなった、今こういう活動をしていると。いつか息子が実家に帰ってきてまた活動をすると信じています。そして、母にとって息子とのコミュニケーションの取り方は宗教の話しかないのです。僕はいつも愛想笑いをしうなづいています。そして思うのです。もし宗教が無くなったら母は何を糧にいきるのだろうかと。

僕は僕

みなさんこんにちは。今日は母と電話していました。今日こちらはものすごい雨でした。元々僕は片頭痛持ちなので、雨の日はけっこう体調が悪くなります。それは母や祖母も同じです。今日はけっこうしんどかった話をすると母が「そんな風に生んでごめんね」と言いました。僕はなんて返せばよかったのでしょうか。

 

 

母のもとに生まれたことによって辛い経験もしました。でも母のもとに生まれたから僕は今の僕なんですよね。僕が僕であるためには母じゃないといけなかった。でも僕が僕である苦しみは母のもとに生まれたからなんです。この気持ちに整理がつく日がくるのかな。

生を受けた日

僕が生を受けた家は旗から見れば父がいて、母がいて、兄がいて、幸せそうなそんな家族だと思います。でも、僕は生まれた瞬間からあることを強制されました。それは母が加入している宗教の信者にならないといけないということでした。因みに父は反対もせず、自分をまきこまないなら自由にしろという感じでした。

 

 

僕が生を受ける前母はその宗教の中で更に頑張るようある特権をもらおうとしていました。そんなときに僕の妊娠が判明しました。母は僕が大きくなっていいました。「もっと後から出来たら休止とかできたのに、あのタイミングで生まれるんだもん」と。僕が生まれたことで母の宗教世界での生き方を変えてしまったのです。この話を思い出すといつも思います。生まれてよかったのかと。母のしたかったことを諦めさせた僕は悪い男ではないかと。考えていしまいます。

 

 

僕のブログのテーマとしてある宗教は欠かせません。その宗教を悪く言うつもりはありません。名前を出すつもりもありません。まあ、読めば何の宗教かわかるかもしれませんが。でも批判したりして喧嘩がしたいわけではないのです。前も書きましたがただあの頃の苦しみを吐き出したいだけなんです。それだけです。